「学徒出陣」七〇周年にあたり 戦没学徒・戦争犠牲者の遺念を不戦の道へ 一九四三年(昭和一八年)一〇月、昭和天皇の勅令により、旧制の大学・高等学校・専門学校の学生・生徒に認められていた徴兵猶予が停止され、兵役年令の満二〇歳以上の学徒が直ちに軍隊に入るよう義務づけられた。軍事的には、連合軍の反攻により激減した下級将校を補充することが目的だった。理工系、医系などをのぞく多数の学徒が、徴兵検査ののち、同年一二月上旬までに陸海軍に入隊した。対象となった学徒の多くは、「ペンを捨て銃をとる」ことに戸惑いをおぼえながら、「国難に殉ずる」気持ちからこれに応じた。その数一一万人~一三万人といわれるが、正確な人数は今も不明である。出陣学徒のかなりの数が、フィリピン、サイパン、ニューギニアなど南方戦線へ送られた末に、あるいは沖縄戦での無謀な特攻攻撃で戦没したことは、「学徒出陣」の本質を如実に示している。 この史実は、事実上高等教育を廃止した、日本近代教育史上かつてない悲劇であった。約三二〇万人にのぼるアジア・太平洋戦争中の日本人戦没者(これ自体彼我幾千万犠牲者のごく一部にすぎない)の一部を構成した戦没学生の悲運をどうとらえるかは、戦後日本のありようにかかわる問題だった。この問いへのすくなくとも一つの答えが、戦争放棄を明記した日本国憲法の制定であった。 日本戦没学生記念会(わだつみ会)は、一九五〇年の創立以来、学徒兵体験、広くは戦争体験の伝承・継承という課題と正面から取り組むことをつうじて、不戦の誓いを固めてきた。 昨年末の総選挙での自民党の勝利と安倍内閣の成立により、事態は「国防軍の創設」「集団的自衛権行使の容認」の方向へ急速に動いている。今年の参議院選挙の結果次第では、憲法九六条の改正を突破口に、憲法九条の改正そのものが具体的日程にのぼるであろう。それだけではない。領土問題その他を理由として、近隣諸国との摩擦が現実に激しくなっている。憂うべきはこれを種に、前大戦で最大の被害を与えた中国とわが国が「もし戦わば」という仮想的事態への危機感を、マスメディアが盛んに煽っていることである。 こうしたなかで「学徒出陣」七〇周年を迎えた今、私たちは、不戦の誓いをあらたにするのみならず、国家間の係争問題の解決のため武力を行使せず、あくまで話し合いを通じて平和を構築する努力をしなければならないと考える。 まさに正念場といわねばならぬ年にあたり、元出陣学徒と広い意味の戦争体験者であるわれわれは、わだつみ会と共同して、以上のことを心から訴える。 二〇一三年五月三日 呼びかけ人 稲岡 芳雄 猪熊 得郎 小澤 一彦 鎌田栄太郎 木邨 健三 小島 晋治 鈴木 實 仙波 太郎 手塚 久四 花香 実 三木 正則 (五〇音順) 日本戦没学生記念会(わだつみ会) |
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